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韓国人の精神年齢は7歳。そのうち暴れ出して手もつけられなくなるだろう。

天皇と書くべきか日王と書くべきか・・・
私は不勉強なので、「日王」という言葉を聞いたのは、
韓国前大統領李明博が竹島に上陸して雄叫びを上げた後、
地方のセミナーで、
「日王は韓国民に心から土下座したいのなら来い。重罪人に相応しく手足を縛って頭を踏んで地面に擦り付けて謝らせてやる。重罪人が土下座もしない、言葉で謝るだけならふざけた話しだ。そんな馬鹿な話しは通用しない。それなら入国は許さないぞ。」
と天皇侮辱発言をした時が初めてです。

韓国人がこだわっているのは「天皇」の「皇」の字だと思います。
古来北東アジア地域は中国文明が中心で、中国王朝は周辺地域に対し冊封体勢を強いていました。まあ、簡単に言えば、周辺国家を属国とし中華帝国に従わせるということでしょう。
当然朝鮮半島にあった国家もこの冊封体勢に組み込まれるわけで、朝鮮で「王」を名乗る場合、中国の許可がなければならない。
だから、韓国人にしてみれば、「皇」のつく存在は中国「皇帝」だけであり、
日本に「皇」のつく「天皇」が存在することが許せないし、認めないということなのでしょう。

韓国人の認識としては、中国から遠ざかる国ほど「蛮国」なわけですから、
日本は韓国より「格下」扱いとなります。
その「格下」国家の頂点に「天皇」が存在するとは!許せん!となります。

多分、李明博以前にも「日王」という言葉は使用されていたのでしょうが、
背景には「中華思想」があり
「中華思想」によれば、「日本は韓国より格下」なのでしょう。

このコラムの筆者によると、
韓国メディアや国民が「日王」表現で足並みを揃えたのが1988年〜1989年だそうで・・・

その頃の私といえば、とりあえず社会人でしたが、
「韓国」なんて国に全く興味も関心もありませんでした。
まあ、

韓国=ハングル
韓国=チマチョゴリ
韓国=焼き肉
韓国=日本語が通じる
韓国=買春旅行

程度でしょうか・・・。

時折、神戸元町などで韓国人を見かけた記憶がありますが、
印象としては
ニンニク臭い
日本人よりやや背が高い
眼が細いなど特有の風貌
時代遅れの長髪

ぐらいの印象しかありませんでしたね。

当時は、
サムスンも現代も影が薄かったのでは?

韓国が力をつけてきたのは、ここ10〜20年かな?
韓国の経済発展と
韓国の日本に対する横柄な態度とは正比例しています。

1989年か・・・
1月に昭和天皇崩御
4月から消費税3%スタート
6月に天安門事件、美空ひばり死去
11月にベルリンの壁崩壊
12月チャウシェスク公開処刑
ほか
リクルート事件
バブル経済
ブッシュ就任
とかあったな!

1989年を
俯瞰してみれば
昭和の終わり
平成の始まり
バブル経済とバブル後の日本経済頓死の予感

共産主義崩壊の序章
中国の恐怖政治スタート
中国・韓国の台頭

それから
ずっと前にも扱いましたが「ヒトラーの予言」
ヒトラーが生まれて50年で第二次世界大戦勃発
で、ヒトラーの予言では
彼の生誕100年後の
1989年に人類は二極化すると言っています。
ついでに書けば、生誕150年後
2039年・・・
今から23年後
人類から神人が出現するそうで、
同時に人類は
神人とロボット人間に分離。
神人は地球上の様々な問題を解決していくそうです。

まあ、ヒトラーの予言によると、
1989年が一番重要だそうで、

先ほど書いた1989年の出来事で、

平成スタート
バブル経済とバブル後の日本経済頓死
共産主義崩壊
中国の恐怖政治スタート
中国・韓国の台頭

だったので
これらが逆転する可能性があるかも!
つまり
平成の終わり
第二次バブル経済がスタート
1990年、バブル後日本経済は衰退しましたが
今度は逆方向に動くかも・・・。
共産主義と書きましたが、ソ連崩壊の逆で
中東を取り込んだロシア連邦復活。
逆に中国では共産党一党支配が崩れ、1930年代の状態に逆戻り。
米中どっちつかずの韓国は中国の衰退と共に北朝鮮に併合されるか、
大幅に衰退。
の方向に進むかもしれません。

話を元に戻しますが、
このコラムを書いた
金秀恵(キム・スへ)なる特派員、
歴史勉強不足+擦り寄り誘導者ですね!
ざっと読めば、随所に反日語句がちりばめられており、
三・一運動の部分については、
どこから引用してきたのか?
ファンタジーを掲載しています。

三・一運動の正体は
書き記事の通りです

↓ ↓ ↓ ↓ ↓ 


「かつて日本は美しかった」さんより

・・・転載開始・・・


三・一独立運動の隠された事実
http://blogs.yahoo.co.jp/jjtaro_maru/25817795.html


1919年(大正8年)朝鮮半島。大韓帝国初代皇帝高宗の死がさまざまな憶測を呼び、前年の李光洙(イ・グァンス)らによる二・八独立宣言の流れを受けて民族代表33人による独立運動が展開されました。独立万歳運動や万歳事件ともいいます。注意したいのは独立を叫びながらも日本に対し真の友好関係樹立を呼びかけている点です。

この暴動について日本の言論空間が隠し続けていることが多々あります。ひとつは日本人の憲兵6人と警察官2名が殺害されたことで花樹里警察官駐在所で川端豊太郎巡査が石と棍棒で殺害され、耳と鼻をそぎ落とされ、陰具を切断した惨殺事件があったのに裁判は「報復」的なことは一切しなかったことがあげられます。放火などによる役場全壊19、一部破壊29、警察署・警察官駐在所・憲兵分隊・同分遺所・同駐在所については全壊16、一部破壊29、郵便局の全壊2、一部破壊9、となっており、運動というよりも暴動です。しかし、裁判では死刑も無期懲役もいません。懲役15年以上の実刑になったものもいません。朝鮮固有の拷問も行っておらず、証拠主義に徹して多くの被疑者が無罪放免となっています。

このとき朝鮮半島に住んでいた私の祖父はこの運動を以下のように記しています。
「この運動は幼稚なもので『或る呪文を唱えたえら弾が当たらない』と教えて無知な大衆を騙してマンセー(万歳)、マンセー、と騒がした。初めのうちは殺すまでの事もなかろうと空砲で威嚇したものだから『それ見ろ弾はあたらんぞ』と瞬く間に騒ぎが大きくなったので、やむを得ず先頭の5,6人を射殺したら蜘蛛の子を散らす様に逃げて騒ぎが収まったそうだ」

運動の指導者らは天道教、仏教、キリスト教の代表者ですから宗教的なもので無知な大衆が扇動されたということでしょう。

この運動の33の代表者のひとり朴煕道は後に近代化を目指す上で朝鮮語の全廃を総督府に申し入れています。前述の李光洙は上海に亡命し、大韓民国臨時政府樹立に加わり独立新聞の編集長に就任しています。帰国後、逮捕されますが起訴されず釈放されています。その後、東亜日報に就職しています。彼は朝鮮近代文学の父と呼ばれており、「朝鮮人を単一なものと考えるのが根本的な誤り」と延べ、「天皇の赤子として日本の国民と考えるべきである」と述べています。また彼は「創氏改名」を強く推奨し、自身は「香山光郎」としました。朝鮮では日韓合邦した頃は民族意識というのはもともと希薄で合邦後に日本語である「民族」が吹き込まれましたが、結果的には帝国主義の時代は国民主義的なもののほうが台頭しやすかったといえます。皇国民となったほうが圧倒的にステータスがあがるからです。

三・一独立宣言を起草した崔南善(チェ・ナムソン)は逮捕され2年6ヶ月の懲役刑をうけました。仮出所後は朝鮮銀行総裁・美濃部俊吉の後援を得て、雑誌「東明」を刊行し、1924年(大正13年)は「時代日報」の主幹兼社長になります。朝鮮人の文化向上と実力培養は独立に優先する、という論陣を張ります。後に総督府の朝鮮史編集委員、中枢院にも選ばれ、昭和12年(1937年)に満州建国大学教授に就任しました。彼は大東亜戦争を「世界改造の重大な機会であると同時に人類の『世界』を現出させる機縁」「英米の桎梏(しっこく)に無く、東亜十数億大衆の祈願であり、真に万邦共栄の世界秩序を確立する、アジアの解放戦争」と唱えています。




・・・転載終了・・・

都合の悪い歴史は「隠す」
まあ、例えは悪いですが、
韓国って、こういう状態かな?
つまり、

「自分の夢を果たせなかった母親」

例えば
ピアノを習えなかった
スポーツが苦手だった
いつも他人を恨めしく思っていた
いじめが好きだった
勉強嫌いで大した大学に行けなかった
結果、望む企業に就職できず
出会いは低収入の男ばかり
好きでもない男と結婚
最悪の人生・・・

そんな母親で、自分の果たせなかった願望を
我が子(娘が多いが、息子の場合もある)に託す。

子供は、親の望み通りに頑張ると親に喜ばれるので更に頑張る。
が、しかし、遺伝子というかDNAというか・・・
やがて乗り越えられない壁に突き当たる。
ピアノも競走も勉強もどんどん抜かされていく。
そして挫折
何のために親の言うとおりにしたのか?
自分の人生とは何だったのか?
そこで、自分は親の操り人形であったことを悟る。
親に反発
引きこもり
ニート
腐女子
家庭内暴力

そして家庭に破綻が訪れる・・・。

これを韓国に当てはめると

西洋文明を軽蔑し学ばなかった
政治が苦手で内部抗争に明け暮れていた
いつも白丁をいじめていた
国力が無く中国の言いなりになるしかなかった
結果、独立国家を樹立できず
近代化を急いだ日本に後れを取り
自国の努力だけではどうにもならないので
日本に併合されることを望む
情けない民族

そんな韓国が、解放後、自分の果たせなかった願望を
国民に託す。
まず、過去の日韓関係を全て否定。
反日政策に徹する。

国民は、政府の望み通りに反日に徹すると政府に喜ばれるので更に頑張る。
が、しかし、遺伝子というかDNAというか・・・
やがて乗り越えられない壁に突き当たる。
外交は失策の連続、復活した日本に市場を奪い返される。
そして挫折
何のために政府の言うとおりにしたのか?
政府の反日教育とは何だったのか?
そこで、国民は政府の操り人形であったことを悟る。
政府に反発
大学を出ても就職先がない
かといって、日本に対する反感が薄まるわけで無し
怒りの矛先は
力の弱い女性
老人
障害者など社会的弱者
そして最後は親兄弟
親殺し
そして国家に破綻が訪れる・・・。

ということで、
韓国国民は韓国政府による「反日政策」でマインドコントロールされている
少年少女みたいなものです。

染みこんだ反日は決して抜けることなく
同時に、反日を擦り込んだ政府を恨み続ける。

勇気を振り絞って、そこから一歩踏み出すという日は決して訪れません。
なぜなら韓国人はみんな、精神構造が「子供」だからです。

ヒトラーの予言を真っ先に具現化し、ロボット人間になり果てたのは
間違いなく「韓国人」です。



朝鮮日報より


・・・転載開始・・・


【コラム】天皇と書くべきか、日王と書くべきか
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2016/07/25/2016072500790.html

▲東京=金秀恵(キム・スへ)特派員
 今年83歳になる明仁日王(日王=天皇の韓国側呼称)が「生前に退位する」と表明した。これを伝える記事を書いていて手が一瞬、止まった。「天皇と書くべきだろうか、それとも日王と書くべきだろうか」。結局、日王と書いた。

 私たち韓国人はいろいろな理由から日王と呼んでいる。皇帝と王の違いに境界線を設けるのは容易ではない。洋の東西では異なり、歴史的な文脈でも違う。単純に考えて、王や諸侯を率いる場合に皇帝と言うとしたら、日本の君主(原文ママ)はただの王だ。日本人が「天皇」と呼ぶからと言って、韓国人がその通りにする必要はない。日本の帝国主義により支配された35年間は韓国人にとって地獄だった。被害国が満足できるだけの反省もしていないのに、皇帝だなんて我々が思い及ぶはずもない。

 このような論理に共感しながらも、日王の記事を書くたびに妙な引っ掛かりがある。日王を日王と呼べば、小さな矛盾が生じるからだ。例えば、日王が暮らす宮殿の名前は「皇居」、王族に関する法律の名前は「皇室典範」だ。韓国の新聞は、読者が分かりやすいようにこうした言葉を漢字で書く。「日王が皇居でオバマ大統領と会い…」「日王が退位するには皇室典範から手を付けなければ…」。こうした時、記者の頭の中の「校閲機」には赤信号がともる。皇居も「王居」と書き換えた方がいいのか、それともそのままの方がいいのか…。

 このような文脈で、日本による植民地時代を身をもって経験した先輩方が何という言葉を使っていたのか、気になった。解放空間(1945年-48年)の記者たちはそのまま天皇と書いた。1950年代、60年代、70年代もずっとそうだった。日王を天皇と書いても、その時代の言葉や文には韓国人を粛然とさせる実感や気概がある。1961年3月1日付の朝鮮日報4面に載った記事を紹介しよう。三・一運動(1919年3月1日の独立運動)の時、10代だった小学校の先生へのインタビューだ。

 「三・一運動後、最初の音楽の授業の時、日本人の先生が歌を歌わせようとしたら、誰も声を出さなかった。先生が『なぜ歌わないんだ』と聞くと、1人の生徒が『あなたの国の天皇が死んだ時は歌舞を禁じながら、私たちの王様が亡くなったのに歌を歌えと言うのですか!』と怒鳴った」

 1989年までに日王を日王と書いた朝鮮日報の記事は4件だけだった。あとは天皇と書いていた。東亜日報も京郷新聞も同じだ。ハンギョレも創刊初期は天皇と書いていた。1988-89年を基点に、マスコミと国民は日王表記に変わった。日本の教科書の歴史歪曲(わいきょく)問題(86年)や在日韓国人指紋押なつ事件(89年)が相次ぎ、89年に昭和天皇が息を引き取ったことから戦争責任問題が浮き彫りになったころだ。

 政府は明確な見解もないまま、どちらを使用するかあいまいになっていたが、98年に朴智元(パク・チウォン)大統領府報道官が線引きをした。「相手国の呼称をそのまま使うのが外交慣例だ。政府は天皇と呼ぶ」。その後、金大中(キム・デジュン)、盧武鉉(ノ・ムヒョン)両大統領が日王に会った時、2人とも相手を「天皇陛下」と呼んだ。2016年の外交部(省に相当)文書も天皇と書いている。

 日王を日王と呼んだからと言って、韓国人が強くなるわけではない。日王を天皇と呼んだからと言って、韓国人が低くなるわけではないのと同じだ。

 ちなみに、米国では「エンペラー(emperor)」、中国では「天皇」、台湾では「天皇・日王」の両方を使う。太平洋戦争時に焼け野原となったベトナムの外交官は「昔のことは分からないが、今は政府もマスコミも『ニャブアニャットバーン(日本皇帝)』と言う」と言った。マレーシアの外交官は「マレーシアでも『マハラジャ・ジュポン』と言う。『マハラジャ』は皇帝、『ジュポン』は日本だ。タイは王だからそのまま『ラジャ(王)』だ」

東京=金秀恵(キム・スへ)特派員

朝鮮日報/朝鮮日報日本語版





・・・転載終了・・・



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Author:まゆねこ
張りぼて大国中華人民共和国、日本の劣化コピー大韓民国、謎の金王朝朝鮮民主主義人民共和国、永遠の天敵ロシア、恫喝国家アメリカ合衆国。これら、ならず者国家に囲まれた日本は生き延びることが出来るのか?

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