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嘘つきババア

洋公主

旧日本軍慰安婦の1人が亡くなられたという、韓国からのニュースです。
89歳ですか。
韓国人の平均寿命って
1970年で60歳
1990年で70歳
2000年で80歳

まあ、どこの国でも男性より女性の方が寿命は長い傾向にあります。

このニュース、
元慰安婦の金君子さんは1926年生まれとはっきり書いてあります。
で、89歳で死去。
韓国では年齢を「かぞえ」で表示するので、日本式に表示すれば88歳ということになります。
で、1926年+88歳=2014年

あれ?
今年は2017年では?
3年間のズレがありますが、これはどう考えたらいいのでしょうか?

3人姉妹の長女・・・
ということは下に2人の妹がいる。

幼い頃に両親と死別と書いていますが、
幼い頃というのは、常識的には小学校低学年まで。
6〜7歳と理解すべきでしょうね。
で、下に妹2人・・・。

17歳で慰安所に強制動員されたとありますが、
それまでの10年間、両親がいないのにどうやって生きてきたのでしょう?
親戚に引き取られたのか?
それとも当時の日本政府が、少なからず生活を援助していたのか?

2人の妹については触れていませんが、生き別れとか衰弱死とかではなさそうです。
ということで、
とりあえず、2人の妹を抱えていながら17歳にまで成長したのだから、
当時の朝鮮半島は、飢餓状態とか、政情不安とかではなく、両親を失っても幼い少女らが生きていける環境だったのでしょう。

で、1942年、17歳で強制動員されたと・・・。
中国吉林省琿春。
場所的には
現在の北朝鮮に接する地域で、
いわゆる旧満州国の南南東の端っこです。

韓国の17歳というのは、日本式に表示すれば16歳か。
で、光復の日に自由の身になった。
光復の日とは、1945年8月15日。
3年間無理矢理日本兵の相手をさせられた。

ところで大陸ではソ連が日ソ不可侵条約を一方的に破り、満州に攻め込んできます。日本軍はその陸戦力のほとんどを南方戦線に投入しており、関東軍は
武器弾薬ともやや欠乏状態であり、怒濤の勢いで押し寄せるソ連軍重戦車に対し、火炎瓶や地雷を抱えての突入など、特攻攻撃で立ち向かわなければならなかった・・・。
逃げ惑う民間人らは、ことごとくソ連の戦車に踏みつぶされたとか・・・。

多くの日本人が命を落とす中、そんなところから、よく無事で帰ってこられましたね。
不思議です。

また、故郷に戻ってから、結婚を約束した男性と再会し、しばらくの間夫婦生活を送ったらしいですが、
強制動員される前
15〜6歳で結婚を約束し合ったということですが、
そんな自由恋愛が朝鮮半島で可能だったのか?
というのは、当時の日本でも、自由恋愛での結婚などほとんどなく、
主流は「見合い」でした。
で、その許嫁者、将来の妻が強制動員されるのを指をくわえて見ていたのか?
また、この元慰安婦が帰ってくるまで、よく待っていましたね?
普通、諦めて別の女性と結婚しているだろ?!

で、この男性とも死別。

だいたい、故郷に戻って来れたのなら、
まず妹らの安否を確かめるのでは?
2人の妹については一切記述がありませんが、どうなったのでしょう。

さて、この元慰安婦・・・
両親とは幼少時に死別
結婚した男性とも死別
2人の妹は消息不明
愛する人も亡くなる・・・。
この愛する人の中には自分の子どもも含まれるのか?

上手い具合に親類縁者が消えていますね。
偶然かな?

それから、
学校へは通っていたのか?
当時朝鮮半島は日本の領土だったので、日本式の教育を受けているはずですが、
それなら、記憶している年号は「昭和」ですね。
昭和の年号を西暦で認識できたのか?

また、
国吉林省琿春に強制動員されたらしいですが、
地理上の知識はあったのか?
当時の朝鮮人少女に外国(中国)の地理が認識できたのか?
不思議です。
何日もかけて歩いて故郷に帰ったということですが、
その間、食料とか飲み水、寝場所はどうしたのか?
突っ込みたくなる箇所多すぎです。

話を戻します。
「3年間」問題
身寄りが全員早くにこの世を去り、また知人もいない
ソ連軍による激しい攻撃の中、どうやって帰ってくることができたのか?
あまりにも話がうまく出来すぎていますね。

多分、誰かにシナリオを教えられたんだろう。
そして、そのシナリオ通りに証言せよと・・・。

寄付でもよく知られているてか!
韓国政府から受けている生活支援金を貯め、寄付を繰り返した。
美しい財団に1000万円、
ナヌムの家に100万円、
テチョン聖堂に1500万円・・・

結局
まあ
老人なんで、大金持っていても使い道が無い。
で、日常生活は老人ホームみたいなところで十分なので、
大金は、慰安婦支援団体が勧める施設に寄付か・・・
結局、早い話が、
慰安婦問題って、
元慰安婦を金集めの装置にしているだけ。
ウハウハ喜んでいるのは、慰安婦支援団体と寄付を受けたこれらの施設。

慰安婦問題が消滅したら、こいつら困るだろうな!

で、日本や韓国政府から金を無心できなくなったら、
今度はアメリカか?

大嘘つきの韓国人。
天国には行けず、またヘル韓国に逆戻りだな!



中央日報より


・・・転載開始・・・


金君子さん、旧日本軍慰安婦の惨状を世界に知らせて死去
http://japanese.joins.com/article/559/231559.html?servcode=A00§code=A10&cloc=jp|main|top_news


2017年07月24日07時47分
[ⓒ 中央日報/中央日報日本語版]

金君子さん 「(日本帝国主義に)踏みにじられた(慰安婦被害女性の)人生が哀れで、悔しい。生きている間に(日本政府の公式)謝罪を受けたい」。

旧日本軍慰安婦被害者の一人、金君子(キム・クンジャ)さんが普段から口癖のように話していた言葉だ。金さんはこのような生涯の望みを胸に抱えたまま23日午前8時4分、京畿道広州(クァンジュ)にある慰安婦被害者のための施設「ナヌムの家」で息を引き取った。89歳だった。

キムさんは前日(22日)まで普段と変わらない生活をしていたという。体が不自由なため車椅子に乗っていたが、ナヌムの家で一緒に生活する慰安婦被害者と対話し、テレビも視聴していた。突然の死に「ナヌムの家」は悲しみに包まれた。

金さんは1926年に江原道平昌(ピョンチャン)で3人姉妹の長女として生まれた。幼い頃に両親と死別した金さんは第2次世界大戦中だった1942年、中国吉林省琿春の慰安所に強制動員された。当時17歳だった。

旧日本軍の「性奴隷」から抜け出そうと何度か脱出を試みたが失敗し、そのたびに暴行を受けた。その後遺症で左耳が聞こえない障害を抱えながら暮らした。強制動員期間は何度か極端な選択もした。

光復(解放)を迎えると夢に見た故郷の地を踏むことができた。しかし婚約者など愛する人たちを順に亡くした金さんは1998年から「ナヌムの家」で生活した。

金さんは米議会の公聴会で過酷な過去の経験を生々しく証言し、旧日本軍慰安婦の惨状を世界に知らせた。金さんは2007年2月、マイク・ホンダ米連邦下院が主催した米国議会の旧日本軍慰安婦公聴会に出席し、「慰安所では一日に40人ほどを相手にし、死なない程度に殴られた」と証言した。

金さんは寄付でもよく知られていた。韓国政府から普段受けている生活支援金を貯め、「私のように親がいない学生が勉強できるよう使ってほしい」として寄付を繰り返した。日本政府から公式謝罪とともに正当な賠償を受ければこれも社会に寄付する計画だった。日本政府が拠出した「和解治癒財団」の治癒金受領は拒否した。

金さんは毎月200万ウォン(約20万円)ほどの政府支援生活費などが貯まると、美しい財団に1億ウォン、ナヌムの家に1000万ウォン、テチョン聖堂に1億5000万ウォンなどを寄付した。また毎週「水曜集会」に参加して慰安婦の実状を知らせることにも率先した。

金さんは文在寅(ムン・ジェイン)大統領の当選を誰よりも喜んだという。2015年12月31日当時に共に民主党の代表だった文大統領が韓日慰安婦合意後、慰安婦被害者を慰めに訪問したのが縁だ。金さんは法的責任を認めない日本政府を批判した文大統領の発言を聞き、「最高」という意味で親指を立てた。

金さんの葬儀は京畿道城南市盆唐区(プンダング)のチャ病院地下1階の特室で営まれている。康京和(カン・ギョンファ)外交部長官はこの日晩、金さんの葬儀に参列した。外交部の当局者は「長官就任後に最初に亡くなられた慰安婦被害者であり、康長官が候補者だった先月『ナヌムの家』を訪問した時に会った縁もあり、弔問した」と話した。

出棺は25日、墓地はナヌムの家追慕公園。金さんの死去で政府に登録された旧日本軍慰安婦被害者238人のうち生存者は37人となった。




・・・転載終了・・・




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張りぼて大国中華人民共和国、日本の劣化コピー大韓民国、謎の金王朝朝鮮民主主義人民共和国、永遠の天敵ロシア、恫喝国家アメリカ合衆国。これら、ならず者国家に囲まれた日本は生き延びることが出来るのか?

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